多くの日本人が神を想う気持ちは、敬虔なクリスチャンが抱く信仰とはやや質がちがうようだ。
神を信じていないわけではないが、、その信心のあり様は、どこかご都合主義的だ。
哲学カフェで、神や浄土の存在をどう考えるかとたずねたら、ほぼ全員が、そんなものは人間のこころがつくりだした慰めにすぎないというお答えだった。
想像してた以上に、みなさん冷めてますね。
しかしその一方で、真理は存在するかとたずねると、もちろんという答え。
科学は普遍的な真理を目指して進歩してきたと、多くの人が信じている。
しかし、その真理はいったいどこにあるのだろう?
質量だけがあって大きさをもたない質点が摩擦のない斜面を落下する運動みたいな、ふつうにはありえない理想的な条件を仮定して、抽象化の末に導き出される原理や法則は、わたしたちの住むこの世界のものではないはず。
にもかかわらず、科学の真理は普遍的なもので、実在すると多くの人が認めている。
数学でいう三角形だって、太さをもたない線分で囲まれているわけだから、この世界では実現できないものだ。
しかし数学が人間のつくりだした単なる妄想だとは誰も考えない。
目に見える世界、五感でとらえられる世界がすべてというわけではなさそうだ。
こう考えると、神の国、あるいはプラトンのいうイデアの世界も、ないとは断言できなくなるのではないか。
授業の後半になると、みなさん、自分の確信していたものが、実はそれほど盤石のものではないということに気づいてくださったようでした。